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「バス、来ないね」 隣にいた女の子がポツリと言った。暇つぶしにメールでもと、ケータイを取り出そうとしていた僕は、ぎくりと手を止めた。道端の路線バス停留所。バスを待っているのは僕と彼女しかいなかった。 「そ、そうだね」 僕は十八番のつくり笑いを披露する。あんまり話しかけてもらいたくないなあというこの気持ち。伝わるだろうかと思いながら。 「もう20分も経ってるよ。何か事故とかあったのかもね」 彼女はほとんど原型を留めていない制服のブレザーのポケットから、携帯電話を──それもギラギラしたビーズがびっしり貼り付けられているヤツを取り出して時間を確認した。それから当社比五倍ぐらいのまつげを揺らせて僕の顔を見上げてくる。まつげの色は白。同じ色をした髪の毛はお姫様みたいにカールされて長く垂れ下がっていた。 「ねえアンタ、北高でしょ? 一年、二年?」 「二年だけど……」 「あ、ホント? タメだね。あたしも二年」 僕の詰襟には「北」と書かれたボタンが縦一列。彼女のブレザーには三つの「南」。ただし、僕は黒髪に白い靴下。彼女は白髪にピンクと紫の横縞ニーソックス。 「北高ってさ、みんな早稲田とか慶用に行くんでしょ。アンタも超猛勉強とかしてんの?」 “慶應”だと突っ込みたかったが、面倒なので苦笑で答えてやった。 「バス来ないから、カラオケとかさ、どっか遊びに行かない?」 「いや、テストが近いから……」 「あっそう」 彼女は、自分の携帯電話をもぞもぞとポケットに収めて、僕から目をそらせて言った。 「 じゃあ、バス来るまでの間、ヒマだから遊ぼうよ」 「遊ぶって、何して?」 「うーん、ギャルアゲとかどう? ……つーか、知ってる?」 僕は、申し訳ないが“姫ヤマンバ”の生態には詳しくない。彼女とは住む世界が違うのである。かぶりを振ると、彼女は口をとがらせて残念そうに、チョー面白いのに、とつぶやいた。 「じゃあさ“しりとり”にしよ」 えらく地味だな、オイ。 心の中で突っ込んでみたのだが、姫ヤマンバにそんなことが聞こえるわけもなく。 「じゃあ、わたしからいくよ」 長い爪を唇にあてて、ウーンと唸った彼女は僕の顔を指差しながら、言った。「“元カレ”」 「れ?」 彼女にはこちらの戸惑いなど関係ないのだ。僕は慌てて、次の言葉を考えた。 「れれれ……レーガン元大統領」 「ウーロン茶」 「やー、耶律楚材(やりつそざい)」 世界史のテスト勉強が頭をよぎった。 「何それ? 何の素材?」 「耶律楚材。世界史の授業に出てくるよ。チンギス・ハンの部下」 「ふーん。何だか知らないけど、まあいいや。“い”ね。じゃあ“慰謝料”」 「う? また“う”? えーと、ウサマ・ビン・ラディン」 「……あっ、アンタの負けだよ!」 彼女は、またこちらを指差して嬉しそうに笑った。僕もただ困ったように微笑んで見せた。 が、目が合ったな、と思ったら一転、彼女は表情を変えた。 「何よ、ちょっと! なんかアンタ真面目にやってなくない?」 図星を当てられ、僕は少しだけ焦った。姫ヤマンバでも女の子だ。女の子というやつは勘が鋭いものだ。 「そんなことないよ」 「てゆーか、ムカつくー。ちゃんとやってよ。負けると次のバス乗れないよ」 「えっ、何で?」 「あたしのこと、頭カラッポだとか、思ってんじゃないの?」 僕は困ってあたりを見回した。何だか会話が成立しないのだが、彼女を怒らせてしまったのは確かなようだった。 ゴメンゴメンと謝ると、姫ヤマンバは、つーんとか言いながらそっぽを向いてしまう。 「次のゲーム、アンタが考えてくれたら、仲直りしたげる」 仲直りなんて別にしなくてもいいのだが、僕は一生懸命、次のゲームを考えた。僕はそういう人間だから。成績、落ちてない? 将来に響くぞ。両親に応える言葉だっていつも常備してるぐらいだ。折れるのは必ず僕の方。それは知らない女の子と話してるときだって一緒だ。
「えーと、元素記号リレーなんかどうかな?」 「何それ」 「元素記号をヘリウムから順に……」 「何それ。つまんねー。もういいわ、わたしが考える」 姫ヤマンバは、空を見上げ鼻をすん、と鳴らした。 「将来の夢・対決でどう?」 「対決?」 「将来の夢を語り合うの。そいで、カッコイイ方が勝ちなの、分かる?」 分かる? って……。 「対決にしないとダメなの?」 「だってゲームでしょ。勝ち負け決めないとダメじゃん……さ?」 僕は浮かない顔をしたのかもしれない。姫ヤマンバは楽しそうな表情を消して、語尾を濁すように僕の顔色を伺った。 「やだ?」 「いや、嫌じゃないけど……」 「じゃあさ、わたしからにするね」 大きなまつげを動かしてみせる。「アンタは後だから、有利になるしさ」
バスは、まだ来ない。
「わたしはねぇ、ネイルアーティストになるの。……ただのネイリストじゃないよ。アーティストだからね。高校出たらネイリストのガッコに行って、バイトしてお金貯めたらアメリカに行って勉強すんの。それで、とにかくどっかにお店開いて、アジアンカラーのネイルアーティストってことですごい評判になるの。どう?」 どう、と言われても……。 僕はまた苦笑を浮かべてしまう。 「アメリカでお店出すのは難しいんじゃないかなあ。日本でバイトで稼いだお金は、きっと留学で全部なくなっちゃうだろうしさ。開業資金はどうやって貯めるの?」 「何よ」 姫ヤマンバは、ギラついた目で僕を見た。 「アンタ、わたしの夢にケチつける気?」 「いやそういうわけじゃないけど、お金貯めるのって難しいと思うよ。それに言葉の問題はどうするの? 英語の勉強もしなくちゃいけないよ」 「わたし、もうエーゴ喋れるもん」 え、ほんと? と目で言ったら、彼女は突然英語で喋りだした。ワタシ、駅前留学シマシタ。先生ノきゃしーハ、ねいりすとデモアッテ、かりふぉるにあデ、ニホンジンノでざいなーガ活躍シテイルコトヲ、ワタシニ教エテクレタヨ。 「すごいじゃん」 僕は素直に賞賛の言葉を述べた。彼女の発音は良くはなかったが、そんなにものは暮らしているうちにどうにかなりそうな気がする。 「カリフォルニアには、メイクアップアーティストが集まるサロンや、コミュニティがたくさんあるの。わたしのセンスだったら、イケると思うの。お店だって、最初から持ってなくたって、どこかで修行させてもらいながらお金貯めたっていいし……」 照れたように、彼女はうつむいて小さな声で言った。白く垂らした髪の房を手で触りながら。 僕は遅れて気が付いた。彼女の長い爪に蝶が居る。青と桃色で描かれた、アゲハ蝶。
バスは、まだ来ない。
「さあ、次、アンタの番だよ」 彼女は楽しそうだった。こういう目のことを瞳が輝いているというのだろう。でも僕は、僕の目は。ただの黒い塊には、蝶も毛虫も、何もいやしない。 将来の夢? そんなことはいい大学に入ってから考えなさい。あなたには時間がたくさんあるのだから、ゆっくり考えていいのよ。 母さん。僕も同感だったよ。
「僕は、大学に入って医者を目指すんだけど、在学中にボランティアサークルの活動で、アフガニスタンの難民支援活動にハマッちゃうのね」 僕より立派に、僕よりちゃんと将来の夢を考えている姫ヤマンバに負けたくないから。だから僕は喋り始めた。 「足を地雷で吹き飛ばされた人の手当てをしたり、親を亡くした子どもの相手をして遊んであげたり。そんな体験が僕の原点になって、僕は医師免許を取ってからも日本で開業しないで、アフガニスタンでの活動を選ぶわけだ。たくさんの人に感謝されて、危ない目にも遭いながら医療活動を続けていくんだけど。それも、ある日から一変する。いつものように水を汲みに行って、僕は突然フッ飛ばされて意識を失う。僕も地雷を踏んでしまうんだ」 「死、死んじゃうの!?」 「いや、死なない」 僕は冷静に答える。「でも、片足の膝から下を切断することになる」 「それじゃ、歩けないじゃん! どうすんの?」 まあまあ、と興奮してきた彼女をなだめるように僕は軽く手を上げた。 「それでね、片足を亡くしてしまった僕は、絶望しつつも医師として、医療行為を続けていくんだ。だけどある日、アメリカから届いた車椅子を見て、ある事を思いつく」 「あることって?」 「車椅子バスケットだよ」 僕の頭はフル回転し、新聞記事やテレビから仕入れた情報を総動員していた。 「地雷で足を失った元兵士たちに呼びかけて、僕はアフガニスタンで車椅子バスケットのチームを結成するんだ。医療行為の合間に練習を重ね、パラリンピックに出場を決めて、初出場にして優勝。僕と、僕のチームのことが全世界に知れ渡る」 彼女は飴玉のように目を丸くしている。 「それで僕はアメリカ人ジャーナリストたちと交流するようになり、医師・プロバスケットプレイヤー・アフガニスタン問題研究家ってことで、アメリカとアフガニスタンの融和をはかるために活動の幅を広げていくんだ」
「すごぉい。カッコイイじゃん!」 感動した姫ヤマンバが、僕の目をまっすぐ見て言った。 思いつくまま喋ったデタラメなのに。彼女は嬉しそうに、すごい、すごいを連発した。 「それなら、わたしの負けでいいや」 感激した彼女が手をぎゅっと握ってきた。その温かさが、僕を正気に戻した。僕の話は嘘なのだ。彼女は騙されていることに気付いていないのだ。みるみるうちに自分の嘘の陳腐さに恥かしくなってきて、僕は彼女の手を離そうとした。 しかし、彼女は手を離さなかった。 さらに手に力を込めて僕の顔を見上げてきた。まっすぐに。 「わたしの負けでいいから、その代わりゼッタイその夢かなえるって約束してよ」 「約束だなんて、無理だよ」 何て目をしているんだ。 「ダメ。約束して」 「わ、分かったよ」
手が、離れた。
僕はタンカの上で目を覚ます。白い服を着た人が僕の顔を覗き込み、笑顔を浮かべた。男の子の方は生きてるぞ、と声を上げる。僕は、慌てて周りを見ようとして、身体中の痛みで気が遠くなりそうになった。 あのバス停に大きなダンプカーが突っ込んでいる。瓦礫の下に倒れているのは、白い髪の女の子。 「あのコの身体がクッションになって君は助かったんだよ」 救急車に乗ってから、男の人が言った。
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