大事な底
 


「懐中電灯、貸してくれ」
 ぎしり。木がたわみ音を立てる。照彦は背後の石山から懐中電灯を受け取り、前の暗闇に目をすえる。そろりと足を踏み出し、奈落の底のような闇へ続く階段を一段、降りた。
 ──昔から物置に使われていた地下蔵らしいんだ。数分前に聞いた石山の言葉が頭の中で再生される。死んだ婆さんが使ってたんだけど、もう随分昔のことだからなあ。
 照彦は図面引きだ。普段は新築住宅の設計ばかりなので、古い建物には興奮する。日本古来からの大工の技がそこにあるからだ。
 二段目を降りる。友人の石山に自宅の改修を持ちかけられて、照彦はしめた、と思ったものだ。石山の家は江戸時代から続く製茶卸業であり、この家は横浜港が開かれ、彼の先祖が外国人相手ににボロ儲けをしたころからここにあるのだ。
 三段目。照彦は木の音を聞く。腐ってはいない。湿度のコントロールが絶妙なのだ。だから腐らない。ニスなどない時代でも、優れた大工の手にかかればカンナ一本で木は驚くほどの輝きと強度を持つ。
 四段目。ふと、石山が漏らした。
「実はさ、まだ話してないことがあったんだ」
 照彦は肩越しに振り返った。
「ガキのころ、悪いことした時に、よく婆さんにここに閉じ込められたんだ」
 ああ、そうなんだ。そう応え、照彦は友人が一緒に降りて来ない理由を、やっと理解した。
 五段目。空間がぼんやりと見えてきた。地下室は思ったよりも広く、がらんとしている。カビと、乾燥した草──おそらくは古い茶葉だ──の匂いが照彦を包み込む。六段目。でもさ、と石山がまた切り出した。
「それは姉ちゃんも一緒だったんだ」
「姉ちゃん?」
 七段目。石山に姉がいたとは初耳だった。彼とは大学の時からの友人なのだが。
「姉ちゃん、いたんだっけ?」
「ああ、昔な」
「昔って……今は?」
「子供のころ、ふいにいなくなって。それっきりさ」
 八段目。嫌な悪寒がした。寒い。温度も湿度も一定に保たれ、どこからも隙間風が吹き込む余地などないのに。懐中電灯を持つ手が、ブルと震えた。
「大人になってから、もしやと思って見に来たことがあるんだよ」
「何処に?」
「この蔵にだよ」
 九段目。照彦は足を止めた。あと一歩で底に着くというのに、もはや古い建物に触れる興奮は冷め、別の感情に心を乱されている。
「それで、見つかったのか?」
「いや」
石山の声が遠い。
「だからお前を呼んだんだよ」 


 

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Talking Rabbit with Shovel
by Kanae Fuyushiro Copyright (C) 2005