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Chapter1 現代の魔法使い |
Chapter1-3 魔法使いの弱点 |
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所変わって、メイフェア地区の小さな公園。ベンジャミン・ハロルド=シェリンガムは、一人の青年とともにベンチに腰掛けている。時刻は夜8時ごろ。そろそろお上品でないロンドン市民たちが街に繰り出してくる時間だ。 隣の青年は、20代半ばぐらい。ブロンドの長い髪を後ろで結び、マンチェスター・ユナイテッド ※ (イングランドのサッカークラブ。ベッカムが所属してたアレ。いわゆる読売ジャイアンツみたいな位置づけ) のユニフォーム・レプリカを着ている。背中の文字はルーニー。背番号は8。小型戦車と異名を持つ、やたら攻撃的なプレイスタイルを持つウェイン・ルーニー選手のファンらしい。 二人はじっと前方を見たまま、無言。青年の方は両手を組み合わせて、神経質そうに親指の付け根あたりを揉んでいる。 「ジェル、そろそろ帰れ」 ようやく切り出したのは、ベンジャミンだ。 「叔母さんが心配してるぞ」 「嫌だよ」 青年は小さな声でつぶやくように言った。 「俺、あの家に帰りたくないよ」 「子どもじゃないんだから、ワガママを言うな」 「だって、息が詰まりそうなんだもん。アレみたい。ハリー・ポッター並みだよ。俺、マグルの叔母さんにさ、苛められてるんだよ。ホントだよ。ジャムだって、あの様子を見たら絶対そう思うって」 「俺は何度もそっちを尋ねてるがな」 ぼそりと口を挟む。 「ジャムが来たときだけ、叔母さんはイイ顔するんだよ。そうじゃない時は“ジェレミー、今日はどこに行ってきたの?”とか、“フットボールを見に行くのは月に一度ぐらいになさい”とか、そんなことばっかり言うんだ」 「それは、お前がニートだからだろう」 大きくため息をつきながら、ベンジャミンは言った。 「ひどいよ兄貴、俺のことただの肉の塊だなんて、いくらなんでも言い過ぎだよ」 「俺はNEETと言ったんだ、MEATじゃない。──働かず、学生でもなく、教鞭を振るってもいない奴、すなわち、お前みたいな奴のことだよ!」 青年の名前は、ジェレミー・ナイジェル=シェリンガム。ありていに言うところの出来の悪い弟だ。25才にもなってまともな職に就いておらず、フットボール(サッカー)を見て騒いで物を壊したり、喧嘩したり、ドラッグを打ってラリッたりすることで、毎日を浪費している。 どうしようもない弟だが、ベンジャミンはこの年の離れた弟に対して少なからず責任を感じていた。 そもそもは22年前、彼らの両親が殺されたことから始まる。当時住んでいた彼らの邸宅に強盗が押し入り、両親と乳母ナニーを殺害し、宝石類を強奪して逃げたのだった。16才だったベンジャミンは3才の弟とタンスの奥深くに隠れて息を潜め、難を逃れた。 その後二人の兄弟は、母方の叔父であるサー・ダニエル=プレスコット下院議員の家に引き取られた。だが、ベンジャミンの方はすぐに全寮制のハイスクールに通うようになり、そのまま大学に進学したため、弟の面倒をほとんどプレスコット家に任せることになってしまったのだった。 ベンジャミンの方は、両親が死ぬ前に乳母ナニーに毎日毎日同じような不味い豆料理を食べさせられ、伝統的な上流階級アッパークラスの人間としての辛抱強さを身に着けることが出来たが、ジェレミーの方はそういうわけには行かなかった。 自由奔放で束縛を嫌う弟は、どうも決定的にプレスコット家と合わなかったようだった。 大学を中退し、サッカー観戦に明け暮れるようになったジェレミーを見て、ベンジャミンは弟を引き取ろうと何度も思った。現在の収入と、両親が残してくれた財産があれば、ジェレミーひとり養うのに全く問題はない。しかし、プレスコット家と叔父の面子のことを考えると気が引けたし、ちょっと前まではもう一人扶養家族もいた。スコットランドヤードの仕事も苛烈を極め、面倒を見てやれるかどうか自信も無かった。 結局、ベンジャミンに出来たのは、こうしてたまに彼に会い、力になってやることだけだった。 そこまで考えてベンジャミンは、今自分が置かれている境遇について、はたと思い至ることがあった。 「ジェル」 ちょっとした間のあと、ベンジャミンは弟を呼んだ。 「お前はどうして、さっきまで留置場にぶち込まれてたんだっけ?」 「えっと……、バーでケンカしたから」 公園の土に目線を落としながら、おどおどとジェレミーは答えた。 「そうだな、ご名答。なら、お前は何でこんなにすぐに出てこれるんだっけ? 理由を言ってみろ」 「ジャムが偉い警察官だから」 「それもある。けど、もう一つあるだろ?」 「叔父さんが下院議員だから」 「そうだ。お前はコネを使って罪から逃れてるわけだ」 ベンジャミンはギロリと弟をにらんだ。 「つまり世間的に見て、お前はいわゆるダメ人間ってヤツなんだよ」 「ひ」 息を呑んだジェレミー。兄の方を見て顔を引きつらせる。 「ひどいよ、ジャム……。あんまりだよ」 声が上ずっている。言い過ぎたかなと思ったが、たまには厳しく言ってやらないと。ベンジャミンは敢えて弟の顔を見ないようにした。 「もうケンカしないと約束しろ、ジェレミー」 ひとつずつだ。自分にも言い聞かせるようにベンジャミンは言った。ひとつずつ約束させて、守らせるようにしていこう。ケンカをやめさせたら、次はドラッグだ。そうやって一歩ずつ進んでいけば、この弟を真っ当な人間にすることができるかもしれない。 「今すぐ約束すれば、俺のマンションにお前の部屋を用意してやる」 「えっ!」 そこでやっと、兄は弟の顔を見た。驚きに見開かれていたジェレミーのグリーンの瞳がふにゃりと歪んで笑みに変わっていく。 「ジャム、マジで言ってんの?」 「ああ」 厳格な表情のままでいようと思ったが、つい表情が崩れてしまう。ベンジャミンも自然と微笑んでいた。 「ちょっとした問題やらかして、とばされた。もう殺人捜査部の刑事じゃなくなったんだ。次の部署はヒマそうだから、お前の面倒をもうちょっと見てやれそう……」 「約束するよ! 俺もうケンカしない!」 ぴょんと立ち上がって、兄を振り返りジェレミーは言った。人の話を最後まで聞きもしない。ベンジャミンは苦笑した。 「約束だぞ」 自分も立ち上がり、ベンジャミンは弟の両肩に手を置く。弟はヘラヘラとしまりのない笑みを浮かべながら何度もうなづいている。 「うん、俺、掃除も洗濯も料理もするよ」 「そうか。料理だけでもいいぞ。BBCの“男のクッキング24時”を見れば……」 「ノー・プロブレムさ、ジャム。俺、毎日その番組チェックしてるから」 仕方ない奴だ。苦笑しながら、弟の背中をポンポンと叩きベンジャミンは思った。──ま、世の中悪いことばかりじゃないな。 手を振り、おとなしく叔父の家へと帰って行く弟を見送ってから、ベンジャミンはタクシーを捕まえ帰路についた。そうだ、今日こそは医者にもらったγ−GDP値を下げる薬を飲むことを忘れないようにしないとな、などと、どうでもいいことを思いながら。 |
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Talking Rabbit with Shovel |