……。 パァッと明るい光が、差し込んだ。 ゆらゆらとゆらめく視界の中で、自分を覗き込むようにしている三つの顔。
あっ、見て。 お兄さん目ェ開けたよ! ジャム、ねえ、ジャム!? 大丈夫なの? 返事してよ!
ベンジャミンは、跳ねるように飛び起きた。
「ジャム!」 すぐに両腕を掴んできたのは弟のジェレミーだった。大丈夫なの? 平気? そんなことを言いながら、身体を揺すっている。 「ジェル、ああ、だ、だいじょうぶだ」 言いながら、ベンジャミンはまず弟の顔を見た。ジェレミーは心配そうに自分のことを見つめている。その隣には派手な若い女性が二人、やはり心配そうに自分のことを見ている。
そこは自宅のバスルームだった。
白と黒のモノトーンのタイルが張り巡らされたモダンなデザインのバスルームに、彼自身は足を投げ出し座り込んでいる。どうやら今まで、彼はここに大の字に倒れていたらしい。なぜか床は水浸しだ。 ついでに、着ていたギーブス&ホークスも台無しになっていた。
「俺は、ここに倒れてたのか」 ベンジャミンは、ぽつりと言った。そうだよ、とジェレミーが答え、若い女性二人はうんうんとうなづいた。 「アタシたちがねぇ、お留守番してるところにお兄さん帰ってきてェ」 「それでアタシたち、ジェルの部屋でテレビ見てたからァ」 「お兄さん、ここで倒れてるの気付かなくてェ」 「ゴメンネ」 「ジャム、大丈夫?」 見事な連携プレーで、状況説明をしようとしている女二人を尻目に、ジェレミーは近場に転がっていたトイレットペーパーの紙を手にとると、ベンジャミンの顔を拭き始めた。 「ごめんね。俺がここに錠剤ピルを置いといたのが悪かったんだ。ジャムがうっかり飲んじゃうとは思わなくて……」 「錠剤!? どういう錠剤だ?」 弟の手をやんわり弾いて、ベンジャミンは手を伸ばしタオルを引き寄せ──今後こそは、正真正銘のタオルだ!──それで顔を拭きながら尋ねた。やや詰問口調になりながら。 ジェレミーは一瞬ひるんだような目をしたが、おとなしく答えた。 「違法なクスリじゃないよ。成分は全部、法定水準を守ってるデザイナーズ・ドラッグだよ。少しだけいい気分になるだけなんだけど……」 言われて、ベンジャミンは今の今まで見ていた光景を思い出した。UCBで見た書類。ホラー映画から飛び出してきた女。そして──黒いドレスの女。 無言のまま、ゆっくりと立ち上がり、洗面台の蛇口の横にある薬ビンを確認した。今朝飲んだγ−GDP値を下げる薬の隣にもう一つ、非常によく似た薬ビンが増えている。 「俺が間違えたのか」 そうつぶやきながら、ベンジャミンは薬ビンを取ってジェレミーに差し出した。弟は怒られると思ったのか、上目遣いになって身構えるように、こちらを見ている。 「ちっともイイ気分にならなかったぞ。とんでもないバッド・トリップだ」 しかしベンジャミンは声を荒げなかった。心ここにあらずといった感じで、ふらふらとバスルームを出て行く。 拍子抜けしたのはジェレミーだ。……ジャム、どうしたの? ねえ、とその背中に声をかける。女二人は兄弟の様子を不思議そうに見つめていた。
自分の部屋に戻ったベンジャミンは、まずは着替えようとスーツを脱ごうとした。 しかしその途端、痛ッと声を上げて顔を歪める。右肩に激痛が走ったのだ。 肩? 肩といえばさっきの……。ベンジャミンは爆発的に嫌な予感がするのを押さえ、恐る恐るジャケットとシャツを脱いだ。
いつの間にか、右肩には青い痣が点々と出来ていた。
もちろん、まったく身に覚えがない。覚えがあるとすれば、あの薬物で見た幻覚の中で、ホラー映画女に刺されたことぐらいしか── 「有り得ない、有り得ない。有り得ないぞ、ジャム。そんなことは」 口に出してつぶやいたベンジャミン。シャツを手に掴んだまま、ソファにどっかと腰掛ける。 そのまま彼は、思考を開始した。今日一日起こったことを、もう一度時系列順に並べて整理してみるのだ。そうすれば自分がどこで怪我をしたのか思い出すだろう。そしてあの黒いドレスの女と何処で出会ったのかも。
そうだ。自分は職場のデスクで書類を読んでいたのだ。過去の事件報告書に目を通し、分類作業をしていたのだ──。
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