Chapter3  王立闇法廷


Chapter3-4 アウェーは白?


「貴方ともあろう人が!」
 朝っぱらから聞く初老婦人の声は、頬を引っ叩かれたかのように、ベンジャミンの耳にガンガンと響いた。
「伝統あるシェリンガム家の当主たる貴方が、何たることを!」
 場所はジェレミーの部屋。ソファに腰掛けているベンジャミンの目の前には、少し太り気味の初老の婦人が仁王立ちして、彼を見下ろし非難の叫びを上げ続けている。
 朝だった。ヴィクトリア時代にトリップした夜の次の朝だ。
 当のベンジャミンは、困り果て、そして申し訳なさそうな顔で婦人を見上げるだけで、言葉もない。
「おお、亡くなられたご両親や、姉に、わたくしは何と申し開きをすればよろしいのでしょう? 当主たる貴方が、警察官である貴方が薬物などに手を出すなどとは──」
「ボーモントさん、まあ、その……勘弁してくださいよ」
 頭を掻きながら、ベンジャミンはようやく婦人に言った。
「何をどう勘弁するのです!?」
と激昂する婦人。ベンジャミンは、まあまあと彼女をうまくなだめようとする。その背後で、ジェレミーが窓を開け、わあ今日はよく晴れてるなどと声を上げているのが目に入った。

 婦人の名前はオードリー=ボーモントといった。
 ベンジャミンは彼女にマンションの鍵を渡しており、一週間に二度ほど来てもらって掃除や、食事の用意などを頼んでいた。要するに彼女は、ハウス・キーパーである。
 そして同時に彼女は、彼ら二人の兄弟の両親と一緒に強盗に殺害されてしまった乳母のジョイス=リードの妹でもあった。ベンジャミンにとっては幼いころに世話になったジョイスに瓜二つのボーモント夫人は、まさに母親のような存在であった。
 アイリーンが死んだ時。ベンジャミンはよく覚えていないのだが、叔父だか誰かがはからってくれて、ボーモント夫人はこのマンションにやってくるようになった。プロの家政婦たる彼女の仕事ぶりは磨き抜かれたもので、密林状態になっていたこの家を一週間で元の人が住める家に戻したのだった。
 そんなわけで、数年前から彼女は毎週二回、せっせと定刻どおりにこのマンションにやってくるようになったのである。古めかしい価値観と、多大なるおせっかいを頭の中にパンパンに詰め込んで。

「ワザとじゃないんですよ。本当に」
スコットランドヤードのエリート警視とはいえど、“母親”に対する口調は一般人のそれと変わらない。「ジェレミーがバスルームにクスリ瓶を置いていたもんですから、それで僕が間違えて飲んでしまっただけなんです」
 彼女が来る日を忘れていたことを。そして彼女が来る時間までジェレミーの部屋のソファで寝ていた自分の愚かさを呪いながらも、ベンジャミンは言葉の間隙をぬって応戦しようとした。
「では、なぜこの部屋のソファで横になっていたのです!? 貴方の部屋でなく」
 ひるがえって、容赦ない追撃を加えるボーモント夫人。
「ジェレミーに、問い正そうとしたんです」
 鋭いところを突いてくる、と汗ばみながらもベンジャミン。
「ここに来た途端、めまいがして──いやはや、ひどい目に遭いましたよ」
 ふん……。と、納得できないような様子で鼻を鳴らすボーモント夫人。犯人に探りを入れるときのミス・マープル  (ミステリ作家アガサ・クリスティーの作品に登場する探偵役のオールドミス。血なまぐさい殺人事件もたちまち解決してしまう名探偵オバサンだが、話がくどい。) のような顔つきで、ベンジャミンの目をしばらく見る。
「まあ、いいでしょう。貴方がそう言うのなら」
 ふん。夫人はもう一度、鼻を鳴らし言った。ベンジャミンは内心ホッと胸をなでおろす。ボーモント夫人は、こうしたことにかけては何か強迫観念めいたものを持っていて、ベンジャミンを“正しい大人”にすることにかけて異様なほどの執念を持っているのである。もう彼が、すっかり大人になっているというのに。
 それはそれとして、とにかく許してもらえて良かった。彼は心底ホッとして、シャツの第一ボタンを開きながら、やっと一息つくことができた。
「ジェレミー」
 すると、ボーモント夫人は、打って変わって柔らかい口調になり、窓の方にいる弟を呼んだ。まるで歌うような声である。
「錠剤はわたくしが預かりますよ。さあ、朝ごはんを食べましょう。コンソメスープと炒り卵をいただきましょうね──貴方はソーセージもつけるんでしたわね?」
「うん」
 跳ねるように飛んでくるジェレミー。
 調子のいい奴め。内心で舌打ちするベンジャミン。普段ドラック三昧のジェレミーが怒られないのに、ちょっとドラッグを飲んで寝てしまっただけで、自分がこんなにもガミガミ言われることに理不尽さを覚える彼であった。


 やれやれ。
 どうも昨夜の睡眠は十分ではなかったようだった。
 そんなことを思いながら、ベンジャミンはスコットランドヤード内のカフェに足を踏み入れた。時刻は12時10分。いわゆるランチタイムだ。カフェは何故だかいつもよりも人が多く、込み合っていた。
 早朝からボーモント夫人の叱咤攻撃にさらされたとはいえ、彼はいつもの日と同じようにスコットランドヤードに出勤し、きちんと仕事をこなしていた。
 ただ、どうにも気が乗らなかった。それは昨夜の出来事と無関係ではないのだろう。

 ──あれは何だったのだろうか。

 一息つけば、すぐにヴィクトリア時代のことが彼の脳裏を支配してしまう。
 彼にとっては、あれがただの薬物トリップなのか、本当に過去に時間旅行なのかどうかは、正直言ってどうでも良かった。
 自分は、アイリーンに似たあの“黒ノ女王(ブラッククイーン)”という貴婦人と、ただもっと話をしたいだけなのである。それなのに、何という巡り合わせか。王立闇法廷(ロイヤル・コート・オヴ・ダークネス)のカーマイン=アボットに道端で捕まってしまった。そのあげく、話を聞いてみれば彼が自分の曾々祖父らしいということまで判明してしまった。これはベンジャミンにとっては二重に衝撃的な事実であった。

 ──決まりだ。ジェルはあの人狼を。ジャム、君は黒ノ女王のことを調べたまえ。

 しかも、彼は非常にしたたかな男だった。まんまと言いくるめられてしまったベンジャミンとジェレミーは、王立闇法廷の仕事を手伝わされてしまうことになってしまった。
 確かに、黒ノ女王を探したかったことは事実なのだから、利害は一致しているがしかし……。
 あいつが気に食わん。
 一言で言い表せば、それなのだ。
 必ずや、あのカーマインの鼻を明かしてやる。奇妙な闘争心に駆られ、ベンジャミンは自分の計画をシミュレーションし直していた。
 まずは、部下のクライヴに頼んで、徹底的にカーマイン=アボットのことを調べるつもりだった。よくよく考えてみればこちらの方が未来なのだから、ベンジャミンの方が有利なはずだ。弱みを見つけたら、お返しとばかりにつけ込んでやるつもりだった。
 奴め。覚えていろ。
 そんなことを思いながら、彼はカフェをぐるりと見回した。

 店内は開放的な空間になっており、激務に追われる警察官たちが少しでもくつろぐことができるようにと、ありがたい配慮のされた作りになっている。しかし……。ベンジャミンはカウンターに並んだメニューを見ながら思う。そういったありがたい配慮は、メニューの味の方にこそ反映してもらいたいものだ。
 注文をすると、厨房内の太った中年女性はポイと皿を食器洗い機の中に放り込んでから、色のない目で彼を見返した。そのまま彼女は、レタスのしなびた不味そうなサンドウィッチと、紙コップのミルクティーを無造作に彼のトレイに置いた。
 ありがとう。そう言って、グリーンのトレイを手にしたまま振り返るベンジャミン。カフェ内をぐるりと見回して、どこの席に行こうかと思案したとき。その視線が窓際の席で止まった。
 窓際の2人席で、仏頂面の男が一人。スパゲティを不味そうに食べているのを見つけたのである。
 おや、と声に出したベンジャミン。次には口に微笑みを浮かべていた。
 そのまま、彼はグリーンのトレイを手に持ったまま、まっすぐ窓際の男のところに歩いていった。
 カフェに据え付けられた大きな液晶テレビの中では、白いユニフォームを着たサッカー選手たちが画面の中を所狭しと飛び回っていた。──ああ、そういえば今日はイングランド代表チームがベルリンに赴いてドイツ代表チームと親善試合をしているんだったな。ベンジャミンは国民的行事を今さらながらに思い出した。だからカフェ内にいつもより人が多いのだ。警察官とはいえ、試合の結果は皆、気になるのだ。それが人間というものである。
 ドイツ代表のシュートが決まると、カフェ内の人間たちは、このナチ野郎が、などと警官が口にするには問題のある言葉を口々にテレビに向かって放っていた。

「レスター」
 まるで第二次世界大戦中のような発言が飛び交う中、ベンジャミンは窓際のテーブルの前に立った。
「ここに座ってもいいかい?」
 そこに座っていた人物は、ベンジャミンの部下、レスター=ゴールドスミス警部補だった。彼はゴールの瞬間を見るために上げていた顔をそのままベンジャミンの方へ向けた。
 途端に、身構えるような色が黒い瞳に浮かぶ。
 彼の答えを待たずにベンジャミンは、サンドウィッチの乗ったトレイをテーブルに置き、オレンジ色の椅子を引いて腰掛けた。
 レスターはジロリとベンジャミンを見ると、何も言わずにまた背を丸めてパスタと格闘し始めた。どうやったらそんな色になるのかと思うぐらいドギツイ赤色のボロネーゼを、フォークで口に運んでいる。
「君の報告書を読んだよ。三年前のやつを」
 声をかけると、レスターは面倒くさそうに顔を上げた。
 無言だった。数秒間だけ上司の顔を見つめた“暴力刑事”は、首をひねってコキと鳴らしたあと、またパスタに視線を戻す。
 ベンジャミンも表面がカサカサに乾いたサンドウィッチを一口かじって、その味を誤魔化すようにミルクティーをすすった。
「2003年9月28日の夜。ベルグレイヴィアの元ローリングス子爵邸で、君は強盗に入った男と対峙した。強盗は一人。そしてメイドを人質にしていた」
 そう言いながら相手の様子を見るが、レスターの視線が行くのはパスタとテレビの試合だけである。彼は上司を無視しようと決めたようだった。構わずベンジャミンは話を続けた。
「強盗はメイドの首に噛み付いて、その血を吸い尽くすと、煙のように姿を変え天窓から逃げていった。そうだったな?」
「俺は休憩中だぞ」
 するとレスターは顔を上げないまま、怒ったような声で言った。「メシ食ってるんだ。見りゃ分かるだろう?」
「UCBの仲間が駆けつけた時、君は満身創痍だった。銃の携帯を許可されていたのに、君は両手を負傷して一発も撃てなかった」
ベンジャミンはレスターの言葉を無視して続けた。「君は吸血鬼と戦ったのか?」
「何だって?」
 レスターはフォークを置き、もう一度ベンジャミンを睨みつけた。それを見て、ベンジャミンはゆったりと微笑んだ。余裕の態度である。
「どうやって? 何を使って戦ったんだ?」
「あんた俺をからかってるのか」
 濃い眉を寄せ、いかつい顔をさらに険しくするレスター。口の端についた赤いボロネーゼソースまでもが彼の怒りを代弁しているかのようだった。
「──俺は、物干し竿を使ったよ。洗濯ものを干すアレだよ」
しかしベンジャミンは穏やかな口調のままで続けた。「襲われた場所が路地裏だったんで、武器がそれしかなかったんだ」
 レスターは目を瞬いた。
「何度か、竿で引っ叩いてみたんだが、全然効かなくてな」
「あんた──何と、戦った話をしてるんだ?」
 口を開いた暴力刑事の声は抑えたものだった。彼は周囲にサッと視線をめぐらせる。少しだけ、その態度が変わっていた。
「殺人犯だよ」
とはいえ、ベンジャミンの方は全く調子を変えない。「あれは人狼(ワーウルフ)という言い方をするらしいな」
「ふん」
 鼻を鳴らしたレスターは、急に立ち上がった。ねめつけるようにベンジャミンを見下ろした。
 数秒後、彼は紙ナプキンを乱暴に手にとって口を拭いた。
「メシが不味くなったから、俺はもう戻る」
「そうか、悪かったな」
 うなづきながらも微笑みを崩さないベンジャミン。元々こんなことで動じるようであれば部長など務まらない。
「……なあ、レスター」
 窓の外から見える空は、どんよりと曇っている。それもいつものことだ。ベンジャミンは、もう一度、部下の名を呼んだ。
 食べ残しのパスタの乗ったトレイを掴んで立ち去ろうとしていたレスターは、ちらとこちらを振り向いた。今だ探るような色を黒い瞳に浮かべて。
「以前から気になってたんだが。君は、誰か俳優に似てるって言われたことはないか? 何かの映画で君に似た俳優を見たことがあるような気がするんだが……」
 そう言われると、レスターは奇妙なものでも見るような目つきになった。
「ヴィニー=ジョーンズ  (元サッカー選手の俳優。顔が怖いので悪役方面が多いようです。ショットガンをかつぐ姿が妙にサマになる。) じゃないのか?」
「──ビンゴ!」
 ベンジャミンは、ひょいと身体を起こして、嬉しそうに言った。
「そうだよ、そうそう。ヴィニー=ジョーンズだ! 元ウィンブルドンFCの選手で、“ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ”  (1999年のイギリスの犯罪映画。冬城カナエのバイブルの一つ。紹介レビューこちら に出てたアイツだ。君、そっくりだぞ」
「よく、そう言われるんだ」
 するとレスターは、微かに──ほんの少しだけ口の端に笑みを浮かべて見せた。ベンジャミンが笑みを返すと、彼は我に返ったように元のしかめ面に戻り、じゃあ、と言ってトレイを手にして去って行った。
 ふうと息を付くベンジャミン。見送るレスターの背中は気のせいか、怒っているような様子には見えなかった。


「話って何だよ」
 くちゃくちゃと、ガムを噛みながらクライヴは言った。
 ベンジャミンが変な匂いのするタマゴサンドをミルクティーでムリヤリ胃に流しこんでから数分後。レスターと入れ替わりで彼の席に現れたのは、巡査部長のクライヴ=コルチェスターだ。太った身体を、ちんまりとしたオレンジの椅子にもたせかけ、銀縁の眼鏡の向こうから相変わらず陰気な色の瞳をこちらに向けている。
「俺に用がある時は、IPメッセンジャーを使えって言ったろ? 文字でやりとりした方が人に聞かれる心配も無いし、好都合だろ?」
「いや、このことは口頭で話した方がいいと思ったんだよ」
 ベンジャミンは相手の目をじっと見ながら言った。
 ランチタイムはまだ長いが、イングランド対ドイツの試合は残るところあと数分のようだった。彼がキョロキョロと周りを見回しても、カフェ内の人々はテレビに集中して腕を振り上げたり、唸ったりしていた。
 よし。とベンジャミンは下唇を舐めた。これなら目立たない。
「あの、あれな。王立闇法廷。カーマイン=アボットのことだよ」
「ああ。それが?」
 クライヴは眼鏡を直しながら問い返した。部下とは思えない横柄な態度は相変わらずだ。
 実際のところ、ギーブス&ホークスで身を固めた上流紳士然したルックスのベンジャミンと、肥満体で容姿には全くと言っていいほど気遣いのないクライヴの姿は何とも目立つ組み合わせであった。しかし当のベンジャミンは国民的行事はそっちのけで、さらに身を乗り出した。
「書面あったろ? 業務委託の覚書」
「なんだよ、じれったいな。早く本題に入ってくれよ。俺だって人並みにイングランドが勝てるかどうかが気になってるんだ」
「試合結果なんかあとで分かるだろ。仕事中ならインターネットで見ればいい。何なら俺が許可するよ。そんなことより──」
と、言いながら声をひそめ、「俺があの書類を読めた理由が分かった」
「ハン?」
  ベンジャミンの言葉に、クライヴはようやく眉を上げ、話題に興味を持ったようだった。
「アボットは俺の曾々祖父らしいんだよ、どうやら」
「マジかよ?」
「分かるか? クライヴ。アボットは、俺の爺さんの、そのまた爺さんってことらしいんだ」
「あんたの先祖ってことか?」
「そうなんだよ」
 クライヴは眼鏡を直しながら、まじまじと上司の顔を見た。
「じゃあなんで、昨日の時点ですぐ分からなかったんだ? しかもあんたの家はずっと昔からシェリンガムだろ? あの、なんつったか、作家の──」
「アナ・モリィ=シェリンガムだ。俺の曾々祖母だよ」
「……っていうと、つまり?」
「カーマインと、俺の曾々祖母は非公式に交際をしてたらしい」
「ワォ。非公式ねえ」
 そこでクライヴは、くく、といつもの調子で喉の奥で笑った。
「だから、あの業務委託書を読めたと、あんたはそういう論法で考えたいわけだな」
「そうだ」
「なるほどな。それも有りかもしれねえな」
 クライヴはつぶやいて、その小さな瞳をさらに細めた。
「ところで、部長。何でそんなことが急に分かったんだい?」
「実は昨日、本人から……」

 ワァァァ……ッ!

 その時、カフェ内の観客たちが一斉に沸いた。MFのオーウェン=ハーグリーブスが、ゴール前の味方に決定的なキラーパスを放ったのだった。ボールを受け取ったのはFWのウェイン=ルーニーだ。小柄な彼はこの決定的なチャンスをモノにしようと、身を翻すようにしてドイツ代表チームのゴールにシュートを放つ。
 白いボールが、突き破らんばかりにネットにめり込んだ。
 さすがにその瞬間はベンジャミンもクライヴも画面に釘付けになった。画面には1−2の文字が出て、2の数字が黄色く点滅する。
「残り10分だ。この試合ウチらの勝ちだな」
 落ち着いてからクライヴが言った。試合終了まで10分での追加点だ。確かにこの試合はイングランドの勝利に終わるだろう。と、ベンジャミンもそう思った。

 おや?

 ベンジャミンは、テレビ画面の中で抱き合うルーニーとハーグリーブスを見て思った。この試合はアウェーだよな? 連中はドイツに行ってるっていうのに。何で赤いユニフォームじゃないんだ?
「なあ、クライヴ」
 最後に残ったミルクティーで喉を湿らせてからベンジャミンは言った。
「何で、イングランド代表は白いの着てるんだ。アウェーなら赤だろ?」
「なに?」
 クライヴはくちゃくちゃと口を動かすのをやめて、ベンジャミンの顔を見た。
「あんた何寝ぼけてるんだ。イングランドはホームの時しか赤は着ない。そんなこと5才のガキでも知ってるぜ?」
「そ、そうだったか? ホームが白で、アウェーは赤じゃなかったか?」
 相手に断言されてしまうとベンジャミンも自信がなくなってくる。しかし彼の常識と、クライヴの発言は真っ向から食い違っていた。……そして今放映しているテレビの画面も。
「あれ……あんた知らねえのか。初めてフットボールリーグが開催された時の、フーリガン乱入事件のこと。いわゆる世界初のフーリガンってやつかもしれねえが。あの有名な話を知らねえのか?」
「なんだそれ、初耳だよ」
「あんた意外にものを知らないんだな」
 クライヴは諭すような口調になって続けた。
「いいか? フットボールリーグが始まったのは1888年。それこそヴィクトリア時代のことだ。リーグに不埒な若者が乱入して試合を一つ台無しにしたのさ。そいつが白いユニフォームを着てた。だから、イングランドは伝統的にホームタウンでは白を避けることになったんだよ」
「えっ」
 彼は一瞬、自分の頭が真っ白になるような感覚を覚えた。
「よせよ、クライヴ。そんな冗談」
「冗談じゃない」
ぴしゃりとクライヴは言った。「俺が冗談なんか言ったことあったかよ?」
 ベンジャミンの中で爆発的に嫌な想像が膨れ上がり、炸裂した。


 白いユニフォーム──。1888年。世界最初のフーリガン。


 そんなバカな。有り得ない。有り得ないぞ、ジャム。イングランドのアウェーは赤色のはずだ。赤だ、赤のはずだ。白なんて有り得ない。
 そうだ、アレはただの薬物トリップのはずだ──!

「そいつの髪の色はブロンドか?」
 自分の声が震えていることが分かった。
「そんなことは調べないと分からねえが──って、どうしたんだ? 顔が青いぜ?」
 ガタン。
 ベンジャミンは椅子を蹴倒して立ち上がっていた。
「クライヴ」
 彼はそのままテレビ画面を食い入るように見つめながら言った。

「気分が悪い。今日はこのまま早退する」

 

 
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Talking Rabbit with Shovel
by Kanae Fuyushiro Copyright (C) 2006