古い古い、錆びた鉄柵の鍵を自ら開けてカーマインは振り返り言った。 ああ、そうそう。ジェル。僕のことはCCと呼びたまえ。 月に照らされた夜。ジェレミーは廃墟じみた屋敷の門前に立っている。隣りにはカーマインと、彼に仕えるメイドの少女レベッカがいた。 カーマインが振り返って、身体を戻したところを見ると、これは俺が先頭に立って進むべきなのかな。ジェレミーはそう思い、錆びた鉄柵をギイギイと音をさせてゆっくり開けた。 「入るよ」 彼が鉄柵を開けて侵入すると、カーマインとレベッカもついてきて、すぐにジェレミーの両脇を歩き出す。 「あれ、CC。あんたは帰らないの?」 さっそく、本人に推奨された呼び名を使ってみるジェレミー。青年紳士は少しだけ嬉しそうに微笑んだ。 「いいぞ、君は素直だ。さっそく僕のことを愛称で呼んでくれたな。──僕は、入口まで付き合って、そのあとは消えるよ」 「……だよね」 ジェレミーはうなづいた。「CC、ケンカとかあんまり強そうじゃないし」 「まあ、そういうことだ」 目前には、使われていない廃墟の屋敷がそびえ立っている。窓は割れ、明かりは一つもついていない。ここが放置されてから数年が経っているのだろう。手入れをされていない雑草だらけの草むらを10メートルほど歩けば、重い扉のついた玄関にたどり着ける。 レベッカは、カーマインがいるとなぜか借りてきた猫のようにおとなしい。必要が無いとあれば一言も喋ろうとせず、黙々と歩いていた。 「この館は、ノーフォーク公爵ヘンリー=フィッツアラン・ハワード卿の持ち物だ」 チャラ、と手の中で鍵の束を揺らして。カーマインは、やんごとなき人物の名前を口にした。 「分かるな? 鍵を手に入れるのにも少し苦労した。あまり派手なことは、しないでくれよ」 「んー。それは分かるけどさ。ナンシーが、暴れちゃったらどうするの」 「何とかして捕獲したまえ。それが君の仕事だ」 「死んじゃマズいって言ってたよね」 「死人では法廷に立てないからな。──ジェル」 ふと、カーマインは足を止めてポケットから何かを取り出してジェレミーに見せた。手の平に乗ったそれは銀色の弾だった。へぇ、と彼が声を上げると、弾は呼応するようにキラりと光る。 「銀の弾丸だ。これを使うといい」 カーマインは子孫の手にそれを押し付け、「6発ある。4発で勝負をつけろ。2発は予備だ」 「4発?」 「手足を撃ち抜くんだ。大抵の人狼は驚異的な再生能力を持つが、その銀の弾の威力であれば、しばらくは身動きできなくなる。あとはレベッカに任せろ。彼女が人狼に鎖をかけて拘束する」 「はは、なるほどねー」 あくまであっけらかんとした様子で、ジェレミーはもらった銀の弾を、どこからともなく取り出したリボルバーに一つずつ装填した。 「じゃあ、ナンシーに腕が4本あったら予備なしだね」 「そうだな」 カーマインもニッと笑う。3人は再度歩き出した。
ベンジャミンが追っていた殺人犯、ナンシー=ディクソン──人狼(ワーウルフ)になった女の行方が分かったのは、あれから二日後だった。 このロンドンの月妖の生き方たる“大魔都の作法(グレート・バビロンズ・スタイル)”を分かっていない人狼が一匹、現れた。……そういった噂が、月妖の世界の中で広まるまでには一日とかからなかった。 カーマイン曰く、このロンドンでは堂々と人殺しをするような月妖の方が珍しいのだという。 何しろ殺しは目立つ。警察が動くのはもちろんのこと、月狩人(ムーン・ハンター)たちが動き出してしまうからだ。彼らは殺人者を嗅ぎ付ける嗅覚と、それに物理的な制裁を加える力に長けている。しかもロンドン中には様々な秘密結社が存在し、人数も多いときている。 つまり、月妖(ルナー)にとって殺人は“足のつく危険な行為”なのである。 殺さない程度に人間から生き血や精力を吸い取り、闇の中でひっそり生きる──。それがヴィクトリア時代の月妖のスタンダードな生き方らしい。それが“大魔都の作法(グレート・バビロンズ・スタイル)”というわけだ。 月妖といえど、ある程度の秩序の中で暮らしているのさ。と、カーマインは結ぶ。 だから、無差別に殺人行為を行う月妖は仲間からも見捨てられる。ときには、王立闇法廷(ロイヤルコート・オブ・ダークネス)に、殺人を犯した吸血鬼を捕らえて欲しいと、吸血鬼から告発が入ることもあるそうだ。 例えば、今回のナンシーのケースのように。 ……ナンシーは昨日、路上でごろつきを一人殺害した。その様子を何人もの月妖が目撃している。そして彼女がどこに逃げこんだのかということも。 以上のような事情で、ジェレミーはノーフォーク公の私邸だった廃墟で、初仕事に挑もうとしている。兄のベンジャミンは修行だか何かの用事で、ここ二日ほど別行動をしていた。
「なんか似てるんだよね」 長く伸びた雑草を踏みつけながら、ジェレミーはぽつりと言った。 何がだい? とカーマインが尋ねると、青年は顎で屋敷を指し示した。 「俺らが子どもの時に住んでた、あの家に似てる」 「ああ。つまりアナ・モリィが今住んでいる邸宅のことだな」 カーマインは、ひょうひょうと答える。 「そう。今はオールドグロスター通りのマンションに住んでるから、俺も1、2回ぐらいしか行ったことないんだけどね。……って、あれ? CCは行ったことないの?」 「僕はないよ」 その声にはこれからの大捕り物を予想させるような緊迫感は微塵もない。「前に言わなかったか? 毎晩、彼女の方が僕の寝室にやって来るのさ」 「寝室?」 「彼女は君と同じ“夢魔(ナイトメア)”だからな」 「何それ、意味分かんないよ」 チラ、とカーマインは何か含みのある笑みを浮かべながら、隣りのジェレミーの顔を見た。 「うん、まあ、安心したまえ。まだ彼女と行為に及んだことはないから」 「え!? ちょっと何の話してんの?」 「モリィは僕をぎゃふんと言わせたくて、毎晩僕の寝室に忍び込んでくるのさ」 ギョッとするジェレミー。しかしそれを気にする様子もなく、カーマインは続けた。 「君のご先祖様は少々悪戯が過ぎてたんでね。それで僕が直々に魔術で懲らしめてやったことがあるんだよ。半年前ぐらいの話なんだが、彼女は今だにそれを根に持ってるようでね」 青年紳士はそう言うと視線を前に戻したが、横顔はほころんだままであった。まるで、少年がどこか野山に遊びに行ったときの思い出を話しているような、そんな口調だった。 「……彼女は、僕にひどい悪夢を見せてやろうとしていたらしいんだが。毎晩、遊んでやっていたら、どうやら諦めたらしくてね。……ああ、僕が彼女の小説を褒めたからかな? 理由は分からんが、とにかく最近はずいぶんしおらしくて可愛くなってきたよ。いつも二人で遅いティータイムを楽しんでるんだ。彼女の連載小説の話をしたり、政治や経済、植民地政策の話などをしたりな。いや、本当に──」 と、そこで彼は言葉を切り、夜空を見上げた。 「モリィは、政治や文学の話なら、並の男じゃ太刀打ちできないほどの才女なんだがね。こと恋愛にかけては全く経験がないようなんだよ。つい昨日、馬車の中でキスしたら、それだけで怯えて震えてたからな。あの様子からすると、彼女は確実に処──」 「あー、やめてやめて」 慌ててジェレミーは大声を上げて、先祖の言葉をシャットダウンした。「生々しいからそれ。さすがの俺でもいたたまれなくなるよ」 「そうか? 自分のルーツに関する話じゃないか」 「だからってさー。なんてえの? もう、頑張ってくださいしか言えないよ俺」 思わず赤面しながら、手持ち無沙汰になったのか。ジェレミーは手にした銃の調子を確かめるように弾倉のチェックをし始めた。 ザザァッと、風が吹き庭の木々を揺らした。館のドアまではまだ距離がある。 「なら、少し話を戻してもいいか?」 カーマインの方は、何ら変わらない様子で、動揺もしていない。いつものようにステッキをつきながら、左足を引き摺るようにして歩きながら言う。 「君とジャムは、どうしてモリィの邸宅に住まずに、ロンドンに別の家を買ったんだ? そんなに遠い距離でもあるまいに」 「あ、そうか。この話をCCは知らないんだね」 手にした銃をカシャン。手馴れた手つきで調整すると、ジェレミーはそれを背中のベルトのところにグッと挟み込む。 「俺たちの両親は二人とも、あの家に押し入ってきた強盗に殺されちゃったんだ」 そう聞くと、王立闇法廷のトップは顔から微笑みを消した。 「俺はまだ3才だったけど、ジャムは16才でしょ? ジャムは俺といっしょにタンスの中に隠れたんだよね。そこで息を潜めて、じっとしてて……俺たちは二人は助かったってわけ」 黙っていたレベッカも、ちらりとジェレミーの顔を見上げた。話に興味を持った様子で、目をパチパチやっている。 「タンスのすぐ外でね……その、ママが強盗にメチャクチャに刺されてたんだ。強盗のうちの一人がとんでもないサイコ野郎でさ、そいつはママが死ぬまで何分間もママを刺し続けたんだよ。でも、ジャムはママの悲鳴を俺に聞かせないように、ずっと俺の頭を抱きしめてて、耳をふさいでいてくれたんだ。だから」 ゆっくり息を吐いて、ジェレミー。
「分かるでしょ。ジャムはあの家に住めなくなっちゃったんだ」
少しの間があった。 ふむ。と言ったのはカーマインだ。 「……キミは3才だったんだろ? まるでその場で第三者として見ていたかのような発言だな」 「うん。そうだね」 ジェレミーはその指摘を素直に認めた。「変な話なんだけどね、ドラッグ噛んでて、一度すっごいリアルな幻覚を見たことがあってさ。うん、4年前ぐらいのことなんだけどね──聞きたい?」 「聞こう。僕にとっても重要な話だ。人狼の方を後回しにしてもいいぐらいにな」」 真面目な顔をしてうなづくカーマイン。 話が長くなる。そう思って、ジェレミーは足を止め、思い出話を始めた。
***
そうだね。じゃあまずは俺たちのことから話すよ。 俺たちさ、13才も年離れてるじゃん? ジャムは事件のあとすぐにパブリック・スクールに行っちゃったしさ。俺は叔父さん家に預けられてて、実はほとんど兄貴と会うことって無かったんだよ。子どもの頃は特にね。 俺は正直、ジャムのことをずっといけすかない兄貴だと思ってた。勉強も出来るし、いい子ちゃんでさ。警察官になってバンバン出世しててさ、綺麗な奥さんもらってたし。 ジャムを見て、俺はスネてたんだ。兄貴はスゴイのにお前は……って、いつだって言われたからね。そんなこと言われ続けてりゃ、誰だって気が滅入るだろ? 俺も大学には一応行ったんだよ。けど、何やったって大して楽しくなかったし。他にすることもないから、毎日ドラッグパーティーやったりして過ごしてたよ。 そう。それでね。4年前ぐらいになるのかな。俺、ヘマやっちゃってさ。サツのお世話になっちゃったわけ。ガン患者から分けてもらったクスリをさ、別の薬と──あ、詳しくは聞かないでね──それを、再配合して売りさばいてたら見つかっちゃったんだよね。 叔父さんは火が付いたみたいに怒ったさ。“お前は何てことをしでかしてくれたんだ”、“警察官の兄貴にどれだけ迷惑をかけているか分かってるのか”ってね。 結局、俺は叔父さんやジャムの力ですぐに釈放されたんだけどさ。自分が兄貴のお荷物ぐらいにしか思われてないのかと思ったら、もう、なんかどうでも良くなっちゃってさ。 それで、俺、家出したんだよ。 2日間ぐらい、ダチの家に泊めてもらったけど、居場所がバレるのがイヤだったから、次の日からオールナイトの映画館で寝泊りした。ずっとポルノ映画やってるようなところでさ。蛍光灯が煙草のヤニで黄ばんでて明かりが黄色いんだ。その時はずっとラリッてるような状態だったからさ。映画の内容もどこをどうフラついたのかもよく覚えてない。 手持ちのドラッグが心細くなってきたな、と思ったら、俺はいつの間にかシェリンガムの実家に行ってた。あの家は管理会社に預けてるんで、家具は少ししかないんだけど、人が住める状態にはなっててね。 俺はあの家で、人生最後のドラッグパーティーをしようと思って、残ってたありったけのドラッグを飲んだんだよ。もうどうでも良かった。死んだらそれまでだな、と思ってた。
ママが殺されるときのリアルな幻覚を見たのはその時さ。
サイコ野郎に刺されてるママ。泣きながら俺を抱きしめてくれてたジャム……。 あんまり真に迫ってたんで、俺は意識を取り戻した。 そしたら驚いたね。部屋の入口にジャムが立ってた。兄貴が俺のことなんか探しに来ると思ってなかったから、俺は幻覚だと思った。 けど、違った。それは本物のジャムだったんだよ。ジャムはぶるぶる震えながら、床に座り込んでた俺を見下ろしてた。 俺はジャムが無言だったから、てっきり怒りのあまり震えてるんだと思ったよ。そのまま立ち上がった俺に、ジャムは物凄いストレートを叩き込んできたしね。 でも、それはいつものジャムじゃなかったんだ。
ジェレミー、どうしてこんなところに来ちまったんだよ。こんなところに来たら殺されちまうじゃないか。ナイフで切り刻まれちまうじゃないか。お前まで死んじまったら俺は生きていけない。
……その後は、もう何言ってるのか聞き取れなかったよ。 あの、ベンジャミンが。俺の兄貴が、だよ? ボロボロ涙流して、俺のことを抱きしめて離さないんだ。 ジャムはさ、事件の時のショックで、あの屋敷に近づくと耳鳴りや吐き気が酷くなって、まともな精神状態でいられなくなるんだよ。しかも後で聞いたら、ちょうどアイリーンがガンで余命いくばくもないって知った頃だったらしいんだよね。 それなのに兄貴は、俺のことを助けに、屋敷の中にまで足を踏み入れて。俺のところまで来てくれたんだ。 だから、俺は確信したよ。 さっき幻覚で見たものは、本当にあったことなんだと。 ベンジャミンは3才の俺を、身を挺して守ってくれたんだってね。
***
「ふーん」 階段を登りながら、レベッカが相槌を打った。 「それでお前ら、ベタベタしてんのか」 「ベタベタ、かなあ?」 頭の後ろで手を組みながら、ジェレミーは微笑んだ。 「それで、その……強盗はどうなったんだよ?」 「ああ、うん。ジャムが逮捕したよ。時効が成立する直前にね。──終身刑になったんじゃなかったっけかなあ?」 二人は既に館の中に入り込んでいる。足元の階段には藤色の絨毯が敷き詰められているが、踏みしめると、ギシ、ギシ、とありがたくない音をさせていた。 「ま、どっちにしろ、あの実家での一夜から、なんか俺らの関係が変わったのは確かだね」 言いながら、ふとジェレミーは傍らの少女の顔を見下ろす。室内に差し込むのは淡い月の光だけだ。その下で少女の顔の白さが浮き上がるようだった。 「ってーか、レベッカが聞きたいっていうから、昔の話をしたのに。……面白くなかった?」 「何言ってんだよ。あたしは聞きたいなんて言ってねえぞ」 「アレ、そうだったっけ?」 ジェレミーは首をかしげた。彼の家族が強盗に襲われた事件のこと。取り乱したベンジャミンの話。誰かが聞きたいと言ったから、自分は長々と話をしたのだが……? おや、そういえばこの屋敷に入る前にもう一人誰かと一緒だったような気がするのだが、なぜか思い出せない。鍵は誰に開けてもらったんだったっけ? 「ま、話は面白かったけどよ」 ぼそりと言うレベッカ。え? とジェレミーが聞き返そうとすると、シッと指を口に当てた。 「──静かに!」 鋭い目つきになったレベッカは、視線だけを巡らせて気配を探ったようだった。 「奥の部屋だね」 押し殺した声で言う。「行くよ」 ジェレミーも、頭を切り替えた。背中のベルトに挟んでいた拳銃を手にして、レベッカの後ろをそろそろと着いていく。 これから初仕事をこなさねばならないのだ。
ガリ、ゴリ、ゴリリ。
廊下の突き当たり。開け放たれたドア。月の光が漏れている中で、何かのシルエットが蠢(うごめ)いている。 「あれだ」 シャラン、とレベッカは袖から覗かせた鎖を構えた。 「一気にいくよ。お前の攻撃が失敗するまでは、あたしがフォローに回ってやるから有難く思いな」 「りょーかい。成功させたら、レベッカがそれで拘束するんだよね」 「そうだ。──よし!」 単純明快な作戦会議を終え、レベッカとジェレミーは部屋の中に踊り込んだ。 「覚悟しな、犬畜生!」
ただっ広く、何もない部屋には、大きな窓があった。 そこから差し込む白々しい月光。窓の向こうでは風に木々が揺られている。 大きな窓の前には、大きな獣が座り込んでいた。 長いシルエットを伸ばし、こちらに背を向けたまま。毛むくじゃらの獣は、動きを止めた。そして、ゆっくりと鼻先を上げて後ろを振り返ろうとする。
獣の向こう側には、人間の腕がにゅっと突き出していた。
床に誰かが倒れている、のだ。 それに気付いて、さすがのジェレミーもゾッとした。ゆっくり振り向いた人狼──ナンシー。グチャグチャと口を動かし、何かを咀嚼している。 何を口に入れ、何を味わっているのか。 その想像が脳に達したと同時に、ジェレミーは撃っていた。
乾いた音。人狼は仰け反るように顎を上げた。その喉から勢いよく噴き出した赤い液体は──血だ。 パッと手が動いて、獣は自分の喉を押さえる。噴水のような血の放出を止め、人狼は、一歩よろけただけで倒れずに体制を整えた。 その長く裂けた口の端から、何かの肉片がずるりと落ちる。ビチャッと嫌な音をさせて、涎にまみれたそれが床にへばり付く。
「うっわ、グロ!」 ジェレミーは言いながらトリガーに指をかけ、レベッカの気配を隣りに感じながら声をかける。 「思わず急所に撃っちゃった。マズかった?」 「まだ死ななそうだから、OKだろ。片手だって塞がってるし、まずまずなんじゃねえの?」 袖から出した鎖を、頭上で回転させるレベッカ。ジャッ! と、それを操り、ナンシーの鼻先すれすれのところに放つ。獣は、驚いて、もう一歩後退した。退路を断とうというのだ。 「殺れ! ジェル」 もう一本、鎖を準備したレベッカは凄惨な笑みを浮かべて叫んだ。 ダンッ。 「ちょっと待ってよ」 片手で真っ直ぐに銃を構えたジェレミー。銃声。 ウォオン、と獣が悲鳴を上げた。今度、血が噴き出したのは彼女の足だ。片足を撃ち抜かれ、がくりと膝を折るナンシー。 「──殺しちゃまずいんでしょ」 ジェレミーは、さっと角度を変えて人狼のもう一方の足を打ち抜いた。片手で銃を構えた美しいフォーム。落ち着いた態度。それはまるでプロのマフィアのような仕事ぶりだった。 「両肩もいちおう撃っとけ」 鎖を構え、レベッカ。その言葉に、チャキと銃を手元に戻したジェレミーは眉を寄せた。 「もう、いいんじゃない? 死んじゃうよ?」 「相手は人狼だぞ。すぐに再生しちまうんだよ──早く!」 レベッカに睨まれ、仕方なく銃を構えなおすジェレミー。
その時だった。窓に黒い影がサッとよぎったのは。
──ガシャン! 派手な音をさせて窓ガラスが割れ、床に誰かが降り立った。 その人物は、顔を守っていた腕を解き、すっくと立って先客たちをねめつけるように見た。それは一人の若い女性だった。スカートの後ろを大きく膨らませたバッスル・スタイル ※ (骨組みを入れて、スカートの後ろの部分をふくらませたスタイルのこと。日本では鹿鳴館スタイルとしてよく知られているのだそうです。ヴィクトリア時代末期に流行したとのこと。) の黒いビロードのドレスをまとい、黒い髪を高く結い上げている貴婦人。まるでこれから夜会にでも出かけるようなその姿は、奇妙なほどこの場の雰囲気に合っていた。 「わぁ! ほんとだ。アイリーンそっくり」 ぼそりとつぶやくジェレミー。 名乗ってもらわなくても、彼女のルックスが全てを物語っていた。そしてこの登場のタイミングも。 乱入者の名前は“黒ノ女王(ブラック・クイーン)”。兄ベンジャミンの亡き妻に瓜二つの、月狩人(ムーン・ハンター)であった。 彼女はジェレミーの発言を聞きつけ、目を細め鋭い目つきで彼を睨みつけた。見慣れない格好をした彼を一瞥すると、フンと上品に顔を上げて侮蔑の視線を送りつける。 「どこの誰だか存じませんが、その人狼はわたしの獲物です」 彼女が両腕を開くと、その腕から水がしたたるように黒いもの──闇そのものが粒子のように零れ落ち、帯のようなものを形成していく。 「邪魔をするなら、貴方たちにも容赦はしません」 「何でいつもこのタイミングに、割り込み入るかなあ」 「ケッ、やってみろよ」 そこで威勢の良い声を上げたのは、やはりレベッカであった。 「お前のツメが甘ェから、そこに転がってるチンピラが内臓を食い散らかされたんだよ。罪の意識でも感じてんだったら、そこで黙って祈ってな。このビッチ」 「うわあ。言うねえ、レベッカ」 少女の罵声に感心しながらも、ジェレミーはパッと左手を開いた。その上に現れたのはもう一丁のリボルバーだった。 ギョッと目を見開く黒ノ女王。 すかさず、ジェレミーは虚空に生み出した新たな銃を構え、黒ノ女王に向けた。 「レベッカが彼女を縛り上げるから、それまでじっとしてて。──動いたら、撃っちゃうよ?」 「貴方たちは何者です?」 淡々とした口調で、黒ノ女王は言った。かなり怒ってるな、とジェレミーは相手の怒りを感じ取りながらも答えた。 「王立闇法廷のジェレミー。この人狼は、法の裁きを受けるんだってさ」 ダンッ。 目線を黒ノ女王に据えたまま。ジェレミーは右手の銃を撃った。ギャッとナンシーが悲鳴を上げた。銀の弾が肩に当たったのだ。
「だから、おとなしくしてて。アイリーン」
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