Chapter4  彼女の悪夢


Chapter4-1 貴婦人メイベル


 今日は休日である。
 ベンジャミンは、一人でタクシーに乗っていた。黒のスラックスに、グレーの薄手のニットというリラックスした私服姿である。座席の横には菓子折らしき長方形の箱が置かれている。
 向かう先は、ロンドンの北部の街、エンフィールドである。十五世紀頃のたたずまいを今でも見ることのできる古き良き街だ。ベンジャミンのマンションからだと、車であれば40分ほどかかる所にある。
 ベンジャミンは、そこに住む人物を尋ねるためタクシーを走らせていたのだった。
 ここ数年は手紙のやりとりだけで、会うのは数年ぶりになるのだが、さて。元気にしているだろうか。
 そんなことを思いながらも、ベンジャミンは窓の外に目を。流れる景色をぼんやりと見つめながら、ここ数日のことを思い出していた。
 死んだ妻、アイリーンに瓜二つの女性が、自分の愛称を呼んだことを、である。


「彼女が俺をジャム、と呼んだんだ!」
 あの後カーマインの私邸に戻った後も、ベンジャミンは頑固に、そう主張した。
「見知らぬ人間だったら、俺の愛称を知っているはずがない。どういうことか分からないが、彼女はアイリーンなんだよ」
 やれやれと額に手をやるカーマインに、椅子に座ったまま心配そうな顔で兄を見つめているジェレミー。
 王立闇法廷(ロイヤル・コート・オブ・ダークネス)のトップは、窓の外の暗闇を見つめながら、左手を背中に回し息を吐いた。
「ジャム」
 ちらりと子孫を振り向き、「君は頭のいい男だが、彼女のことになると冷静な判断力すら失うようだな」
「余計なお世話だ」
「結構。今の状態の君には、説明する気すら起こらん。──今夜はモリィも来ないようだし、明日の夜にでも出直したまえ。言霊術(スペルキャスティング)を習得した君なら、彼女を探すことなど造作もないだろうしな」
「! そうか!」
 言われて初めて、思い至ったように。ベンジャミンは顔を上げて部屋の出口に向けて歩き出そうとする。
 それを振り返り、苦虫を噛み潰したような顔をするカーマイン。待て、と低い声で言う。弟のジェレミーも、ジャム、と控えめに声をかけた。
「待て」
 が、先祖と弟の言葉をまるで無視し、ベンジャミンは部屋の出口へと、つかつかと足を運んでいった。
「──待て、と言っている。ベンジャミン」
「……」
 渋々と、彼は足を止めた。カーマインの声は重く、有無を言わせないものが込められていたからだ。
 振り返ると、カーマインは強い目でベンジャミンを睨んでいた。そのまま、ステッキをついて椅子に近寄り、ジェレミーの前に座った。言葉は無い。そして彼にも前に座るよう促す。
 やはり、渋々と椅子に腰掛けるベンジャミン。目線が同じ位置に来るのを待ってから、カーマインはじっと相手の顔を見つめた。
 そして充分な間を開けて、彼は口を開いた。
「ジャム。……あの人狼のナンシーを覚えているな?」
「? ああ。それが?」
 唐突に、何を言い出すのだろう。ベンジャミンは眉を潜めた。
「冷静に考えてみたまえ。あの女は、君が2006年の世界で追いかけていた容疑者なのだろう? それが何故、1888年のロンドンに出現したのか。君にはその理由が分かるか?」
 そう問われて、ベンジャミンは答えに窮してしまった。
 じっと瞬きもせずにこちらを見つめているカーマインを前に、スコットランドヤードの警視は自らの顎に手を触れながら、居心地が悪そうに居住まいを直した。
「──ナンシーも、ドラッグ飲んでたんじゃない!?」
 気まずい雰囲気に耐えられなかったのか。横のジェレミーが、大きな声で言った。兄に助け舟を出したつもりなのだろうが、カーマインはゆるゆると首を横に振っただけだった。
「二種類の薬物を、同時期に手に入れ同時期に服用したということは考えにくい。しかもベンジャミンが一番最初に1888年に来た時と彼女の出現は同時なのだぞ。これを、どう結びつける?」
 本業たる弁護士口調で、カーマインは淡々と言った。

「答えを教えてやろう。──ベンジャミン。君があのナンシーを生み出したのだ」

 ──!
 兄は目を見開き、弟は、ウソォ! と声を上げた。
「ど……どういう意味だ?」
「言葉通りだよ。ジャム」
 皮肉を言うように、カーマインは口の端を歪めた。
「君が、ナンシーの存在を“信じた”から、彼女はこの時代のロンドンに現れたのだ。分かるか? 君の強い思い込みが、ナンシーを具現化させたのだ」
「そんな馬鹿な?! 俺が彼女をタイムスリップさせたってのか?」
 驚くベンジャミン。
「ふむ……。そうとは言い切れない。あの人狼ナンシーが君の妄想の産物なのか、それとも本当に時代を超えてきたのかは分からない。しかし、彼女がこの時代の人間を一人殺したのは事実なのだ。──つまり、君の思いは、世界をこんな風に少しだけ変えられる力を持っているということさ」
 カーマインはテーブルを指で、コツ、と叩く。
 ベンジャミンはベンジャミンで、眉間に皺を寄せながら俯いた。
 無理もない。自分が生み出したというナンシーが人を殺し暴れまわったというのだ。にわかには信じがたい話なのだが、もし本当なら、非常に不本意だし後味の悪い話ではないか。
 相手の様子を見て、カーマインも長く息を吐く。
「──さあ、賢明なるベンジャミン。僕が何を言いたいのか、分かるな?」
「いや、分からん」
 即答するベンジャミン。何? とばかりに、カーマインは滑稽なほどに眉を寄せた。
「分かった!」
そこで間髪入れず声を上げたのはジェレミーだ。「あんまりアイリーンアイリーンって言ってると、あの黒ノ女王がアイリーン化しちゃうぞって言いたいんだね? CCは」
「アイリーン化?」
 ベンジャミンは弟を見、そして先祖に視線を戻した。
「どういう意味だ? しかも彼女はアイリーンだってさっきから言ってるだろ」
「……ジーザス」
 王立闇法廷のトップは、神の御名をつぶやきながら自分の額に手をあてた。
「分かった。もういい。君が判断力を失ってるということが、ようく分かった」
 深くため息を付き、彼は二人の子孫の顔を代わる代わる見ながら続けた。
「ジャム。とにかく今夜は自分の時代に帰って休みたまえ。あの黒ノ女王は今夜はもう現れんだろうし、君の術は“風”を媒体にするから、彼女が風のない場所──まあ要するに室内だな。屋内にいたら居場所は掴めんはずだ。そうだろう?」
「さすがは、よく知ってるな。そうだよ」
「誤解しないでもらいたいのだが」
 と、カーマインは前に身体を乗り出し、言った。「僕は君たちが自分の子孫であることを“信じて”いるし、身内だと思っている。君たちに会えたことも、とても嬉しく思っている」
 俺も俺も! と脇でジェレミーが声を上げる。にっこり微笑んだカーマインは、君の気持ちは分かっているよと言わんばかりに軽く手を挙げてから、続けた。
「──だからこそ、この件は慎重に取り扱いたい。黒ノ女王を破滅から救うには、彼女の魂を捕らえ、力を与えている悪魔を探し出さねばならない。そして、彼女があの禍々しい力を使うことを阻止せねばならない。そもそも彼女があの力の危険性を自覚しているかどうかも分からん。それにな、彼女は一体誰を追うために、あのように執念を燃やしているのか……。なあ、ベンジャミン。僕は思うのだが」
「何だ?」
「まずは君の時代で、彼女のことを調べてみたらどうかと思うのだ。おそらくかなりのことが判明するはずだぞ」
 そう言われて、ベンジャミンは目をパチパチとやりながらカーマインの顔を見た。
「?? 彼女の名前が分からないのに、どうやって現代で彼女を調べるんだ?」
「あ、そうか!」
 ジェレミーが、ふいに声を上げて隣りの兄の肩を叩いた。
「マクシーン婆ちゃんだ。ジャム、婆ちゃんに話を聞いてみればいいんだよ!」
「え? え?」
 何を言われているんだが全く分からないといった具合に、ベンジャミンは困った表情を浮かべて見せた。なぜそこで義母の名が、アイリーンの母親にあたる老婆の名前が出てくるのか、彼にはさっぱり理解できなかったのだ。
「ジャム、僕が説明してやろう」
カーマインは、手を挙げ、続けた。「……君の刺青は言霊師(スペルキャスター)が受け継ぐものだ。君はその刺青を妻のアイリーンに入れてもらったと言っていなかったか? 彼女の家に代々伝わるお守りだと聞いた。なあ、そうだったな……?」
 ──あっ!
 ベンジャミンは思わず立ち上がって叫んでいた。
「そうか! 彼女はアイリーンの……!」
 

 かくして、二日後の朝。
 ベンジャミンはアイリーンの母親、すなわち義理の母にあたるマクシーン=カールトンを訪ねるつもりで、タクシーをロンドン郊外に飛ばしていたのだった。
 彼女は夫を亡くしてからずっと一人で暮らしている。彼女の夫でありアイリーンの父親は、陸軍大佐であった人で、退役してから閑静な郊外の町で暮らしていた。それがたまたまロンドンで退役軍人の集まりがあったときに、強盗に襲われ命を落とすという凶事に見舞われたのだ。
 彼が死んだ時は、すなわちベンジャミンがアイリーンに出遭ったときと重なる。
 あれから、もう12年も経ったのか……。ため息をつきながら窓の外を眺めるベンジャミン。車はロンドンの北に位置する大きな公園、リージェンツ・パークの横を走っているところだった。
 犬の散歩をしている老婦人の横を通り過ぎた時、前触れもなく、タクシーが突然減速しはじめた。
 おや、と身体を起こすベンジャミン。タクシーは、そのまま道の脇に停車してしまった。
「どうしたんだ? 何かあったのか」
 彼は、透明プラスチックの向こう側の運転手のうなじを見ながら、コンコンとノックした。しかし運転手はこちらを振り向かず、無言だった。
 バックミラーの中で一瞬だけ、ベンジャミンの目を見、そして目線をそらす。

「奇遇だな、シェリンガム警視。こんな所で出会うなんて」

 その時、ガチャ、とドアを開けて、タクシーの中を覗いた男が一人がいた。スキンヘッドの大柄な男で、ファーのついたこげ茶色のコートを着こんでいる。ありていに言って、ごつい、50代ぐらいの、到底カタギには見えない男である。
 道端でベンジャミンのタクシーが来るのを待ち構えていたのだろう。
 似合わないフレンドリーな笑みを浮かべてこちらを見るその顔に、ベンジャミンは露骨に顔をしかめてみせた。見知った顔である。しかも休日には特に会いたくない類の人種の一人だ。
「今日は休日のはずだがな、ミスター・ドリスコル」
冷たい口調でベンジャミン。「どうしてあんたが俺のタクシーを停めるんだか、全く理解できん」
「ハハ、まあそう言うな。あんたと俺の仲じゃないか」
男は笑いながら、自分の大きな身体をタクシーの中に押し込んだ。「ちょいと、話があってな」
 彼はそのまま透明プラスチックをコンコンとノックして、運転手に車を走らせるように促した。
「悪いな、警視。話はすぐに終わるから、少し付き合ってくれ」
 と、タクシーが走り出したのに、ベンジャミンから返事がないのを見て、男は再度口を開いた。
「──弟さんは、あれから元気にやってるかい?」
「余計なお世話だ」
 ベンジャミンは鼻を鳴らして不快感を顕わにする。
「話があるなら、早くしてくれ」
「そう来なくちゃな」
 ニィッと、彼は笑った。

 彼の名前はセオドア=ドリスコル。通称、スキニー・テッド。ロンドンの中でソーホー近辺に縄張りを持つマフィアのボスである。ベンジャミンとは、何かと“仕事上の付き合い”のある相手だが、実際のところ取調室をはじめスコットランドヤードの中で相対することは少ない。マフィアのボスとはそういうものだ。
 ベンジャミンは過去に一度だけ、ジェレミーが問題を起こした時に、この男の手を借りたことがある。以来、借りは倍にして返しているにも関わらず、スキニー・テッドはこうして友達面して彼にコンタクトをとってくるのである。
 
「警視、このあと誰かを訪ねるのかい?」
「あんたとは関係ない」
「ヒャア、連れないねえ」
 スキニー・テッドはリラックスした様子で、大きな身体をシートにもたせかけ、足を組んだ。黒いピカピカした靴の先は鋭く尖っている。
「分かった。じゃあ単刀直入に行くぜ。──ビッグ・モスのクソ野郎のことさ」
 ベンジャミンは前を見たまま、小さくうなづいた。ビック・モスというのも、やはりマフィアのボスの一人である。スキニー・テッドがタクシーに乗ってきた時から、大方察してはいたが、本日の彼の用件はタレコミのようである。連中はこうして飽くなき闘争を繰り広げているのだ。
「あの野郎が、クソみたいな小劇場をポコポコおっ建ててるのは知ってるか? 今まであったクラブを潰して、クソくだらないコメディアンに明け渡してやがるのさ。クラブを小劇場にだぞ? 信じられるかよ」
 ベンジャミンは無言で話を聞いていた。痩せているわけでもないスキニー・テッドが、そもそも“スキニー(痩せ)”と呼ばれているのは、彼よりさらに一回り大きな体格と縄張りを持つベン=モリスン──ビッグ・モスが存在するからだ。
「なんつったか、若い女にやたら人気があるニック=ウォルターズとかいうコメディアンを雇ってだな。そいつやその手下どもに公演させてるんだ。奴の劇場にはいつでも満杯だっていうんだから」
「結構なことなんじゃないか?」
「馬鹿言うなよ。あれだったら俺がポルノ小屋を開いた方がマシだぜ? 少なくとも世の中の半分の人間は喜んで、俺に感謝するだろうさ。あんなクソコメディアンのネタで笑うのは犬ッコロだけだ」
 話を聞きながら、以前ジェレミーが家に連れてきたティーンエイジャーの少女たちが口々にニック=ウォルターズの番組の話をしていたことを思い出した。
「そうか? かなり人気があると聞いているがな」
「そりゃ、あそこに通ってるのが雌犬(ビッチ)だけだからさ」
 ニヤリと冗談を言いながらも、スキニー・テッドは身を乗り出す。
「ベンジャミン、ここから先が話のキモだ。奴が若い女ばかり集めてるのには理由があんのさ」
 マフィアのボスは馴れ馴れしくファーストネームで呼びかけながら、大仰に腕を広げてみせた。
「──ドラッグさ」
「まさか」
ベンジャミンは短く言葉を挟む。「ビッグ・モスは、ドラッグには手を出さないはずだ」
 お前さんとは違ってな、と続く言葉を飲み込んで、ベンジャミンはようやくスキニー・テッドの顔を見た。
「そう思うかい? 息子がヘロインで死んだから、奴はドラッグには手を出さない? ──ベンジャミン。今は、トウモロコシの燃料で車が走る時代だぜ? 時代は絶えず動いてんのさ」
  ようやく話に食いついてきたか、と満足げにスキニー・テッド。
「疑うなら、調べてみろよ」
とは言いながらも、彼は運転手に向かって、合図をするように透明プラスチックをコンコン叩いた。
 運転手は心得たようにすぐさまタクシーを減速し、停車させた。
 リージェンツ・パークの周辺をちょうど一回りしたあたりで、そこは最初に車が停車した位置とほぼ同じところだった。
 手を軽く挙げ、話は終わったとばかりに車から出て行こうとするマフィアのボス。
「それじゃあな」
「ドリスコル」
 それをベンジャミンは呼び止めた。
「知ってるだろうが、俺はもう殺人調査部の西課長補佐じゃない。左遷されて、今は奥サマ苦情係のトップだ」
「知ってるよ」
 スキニー・テッドは、大きな身体をひとまずタクシーの外に押し出してから答えた。
「だが、俺は知ってるぜ。あんたの帰還を待つデカどもが──失敬。あんたがたくさんの部下に恵まれてるってことと、あんたが俺から聞いた話をそのままにするような男じゃないってことをさ」
振り返り、最初と同じようにニィッと笑う。「じゃあ、またな。ベンジャミン」
 言い終えて、バンッ。マフィアのボスは扉を勢い良く閉めて去っていった。
 残されて、一人舌打ちするベンジャミン。
「馴れ馴れしく呼びやがって……」


 奇妙な同乗者を迎えたベンジャミンだったが、もともと時間に余裕を持って出かけていたためと、あの後に運転手に対して使った言葉が功を奏したのか。彼は予定通りの時間に義母の家を訪ねることが出来た。
 久しぶりに会ったマクシーンは、当然のように喜んでベンジャミンを迎えてくれた。
 背筋のしゃんと伸びた初老の婦人は、変わらず元気に暮らしていると話し、死んだ娘の夫を居間に案内した。確か今年で61才になるはずだった。
 ベンジャミンが近況を尋ねると、マクシーンは、庭の薔薇がよく咲くようになったこと、近所の子どもたちに歌を教えていること、街に野良猫が増えて避妊手術をすべきだという話が持ち上がっていることなどを話してくれた。
 代わりにベンジャミンは自分があまり忙しくない部署に異動になったことなどや、ジェレミーと一緒に住むようになったことなどを話した。
 他愛のない日常の話だった。
 ベンジャミンの印象では、マクシーンは元々は女学校の教員をしていたこともあって、男性のようにサバサバした性格の職業婦人だった。それが、ずいぶん柔らかい雰囲気を持つようになったものだ。彼は素直にそう思う。
 さて、それはそうと。例の話をどう切り出すか。
 話を聞きながらベンジャミンがタイミングをはかりあぐねていると、何かを感じ取ったのだろうか。マクシーンの方が話を振ってくれた。

「ねえ、貴方は、何かわたくしに聞きたいことがあって来たのでしょう?」
ティーカップに三回目に口をつけた時に、マクシーンは微笑みながら言った。「遠慮なさらずにどうぞ。アイリーンのことか何かのことではなくて?」
 ベンジャミンはうなづきながらも紅茶を飲んでから答えた。
「その通りです。その──ええと、彼女に胸に入れてもらった刺青のことなんです」
 と、言い切ってしまってから、唐突だったかなとベンジャミンは口を濁した。
「なんといいますか、私には紋章額の知識がなくて、自分の胸にあるものの意味が分からないものですから。これがどういうものなのか急に気になったと申しますか、ええと、どういう意味なのかなと思いまして……」
 彼の言葉が終わるか終わらないうちに、ふふふ、とマクシーンは笑った。
「やっぱりね。そのことだと思いましたわ」
「え?」

「その刺青は“力源(パワー・ソース)”です。もう貴方はそんなことご存知なんでしょうけど」

 いきなり答えをズバリと言われて、さすがのベンジャミンも面食らって義母の顔を見た。“力源(パワー・ソース)”という言葉が彼女の口から飛び出したことに仰天したのだ。
 師匠の老人クラウドと同じことを言うマクシーンを前に、彼はにわかに1888年にいる気分を味わい始めていた。
「正直言って」
 と、マクシーンはそこで言葉を切り、アイリーンと同じ青灰色の瞳で、真っ直ぐに彼の顔を見つめ返した。
「貴方が今さらになって、そんなことを聞きに、わたくしのところに来たことに驚いています」
「申し訳ありません」
 思わず、ベンジャミンは頭を下げてしまう。
「アイリーンは、そういった話を私に一切しなかったのです」
「まあ、そうでしょうね」
老いた貴婦人はティーカップを口に運びながら、ため息をついた。「わたくしもあの子に刺青の意味を正確には伝えていませんでしたからね」
 目線を窓の外の木々に移し、しばらく間を置くと、彼女はベンジャミンの方を振り向かずに続けた。
「それはそうと、貴方一体、どうなさったのですか。それは」
「? 何がです?」
「──わたくしが、どうして貴方とあの子の結婚を許したと思います?」
 物憂げな横顔を見せながら老婦人。ベンジャミンが、何と返答してよいものやらと言葉を捜している最中に、「貴方から魔術や月妖(ルナー)の匂いが全くしなかったからですよ」
「エッ!?」
「……それが今はどういうことです? 身体中に風をまとわりつかせて……」
 口元に笑みを浮かべて。老婆はようやくベンジャミンを見る。
「まるでわたくしの若い頃みたいじゃありませんか」
「あ、貴女は──」
 この言葉を口にして良いのだろうか。驚愕したままベンジャミンは、おずおずと言った。
「言霊師(スペル・キャスター)なのですか?」
「ええ」
 何の躊躇もなく、マクシーンはうなづいた。
「わたくしの母も、祖母も、みな言霊師(スペル・キャスター)でしたよ。何を驚いているのです。貴方も少しは魔力を隠すことをお覚えなさい」
 ここは1888年なのだろうか。いつの間にかまたクスリを飲んでしまっているのだろうか──。ベンジャミンは混乱しながらも、申し訳ありませんと、また謝った。
 ずっと見知っていたマクシーンが、別人に見えてくるような、そんな気分であった。
「いろいろ事情がありまして──それは後できちんとお話しますが、私もつい先日、とある方から言霊術(スペル・キャスティング)を習ったのです。それは、お義母さんのご先祖の方々と関わりのあることのようで、実はそのことを詳しくお尋ねに参りました」
 ベンジャミンが居住まいを直し、ゆっくりとそう説明すると、老婦人はなぜか嬉しそうに微笑みながらうなづいてみせた。
「いいでしょう。聞きますわ」
 ごくりと唾を飲むベンジャミン。
「お義母さんやご先祖の方々の、主流は“闇”ですか?」
「いえ、違います」
 マクシーンは不思議そうに義理の息子を見ながら答えた。
「わたくしたちは、貴方と同じ“風”ですよ。──“闇”を主流にしたのは、メイベル=カールトン。一族の始祖にあたる者だけです」
「メイベル?」
「──レディ・メイベル・ヘレナ=カールトン。吸血鬼の結社と戦い壮絶な最期を遂げたとされています」
「切り裂きジャックの時代に、ですよね」
「そうです」
 ビンゴだ。
 ベンジャミンは脳裏にあの“黒ノ女王”の姿を思い浮かべながらうなづいた。
 ──ん? 待て!? 
「そ、壮絶な最期、ですか?」
「ええ。ですから、わたくしたちは彼女の闇を封じ、“風”を選んだのです」
 マクシーンは、また言葉を切り、じっとベンジャミンの顔を見つめた。
「……ベンジャミン。貴方の事情を先に話してくださらない?」
「構いませんよ」
 ベンジャミンも身体を乗り出す。話が長くなるのだろう。彼はようやく落ち着いた普段の調子になり、そしてティーカップを口に運んだ。
 そんな彼を見ながら、老婦人の瞳に、ふっと憂いの色が宿る。
「わたくしがお話することは、少々複雑です。貴方の話を聞いてからですが、おそらく貴方には“あれ”を見せることになるのでしょうね」
「?」
「手記です」
ふと立ち上がりながら、マクシーン。「メイベルと、そして“パメラ”が書き留めた、手記のことですよ」
「パメラ?」
 聞き返すと、老婦人は腰を屈め銀色の盆にゆっくりとティーポットを乗せた。

「話が長くなりますわね。お茶を入れなおしましょう」

 
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Talking Rabbit with Shovel
by Kanae Fuyushiro Copyright (C) 2007